五百円札と百円札各1枚 A389

五百円札と百円札各1枚 A389

五百円札と百円札各1枚 A389-1

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 今は見られなくなった使用済みの五百円札1枚と百円札1枚
  写真は2組です 

五百円札と百円札各1枚 A389-2
 どれもも使用済みの古札です
 500円札は、1951年から1994年まで発行されていました。発行が停止されてから30年となりましたが、いまでも使用することはできます。

五百円札と百円札各1枚 A389-3

五百円札と百円札各1枚 A389-4
 日本で最後に発行された100円札です。
 1967年に百円白銅貨になり紙幣から硬貨に移行しました。

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 岩倉具視(いわくらともみ 左)と明治時代に活躍した政治家板垣退助(右)。

五百円札と百円札各1枚 A389-7 五百円札と百円札各1枚 A389-8 
  富士山と国会議事堂

豆知識
岩倉具視の功績
・王政復古:徳川幕府を廃止し、新政府を樹立する上で重要な役割を果たしました。
・岩倉使節団:欧米を視察し、日本の近代化の基礎を築きました。
・近代化政策:鉄道敷設や憲法制定など、日本の近代化に貢献しました。
・彼は自由民権運動をリードし、日本の民主主義の基礎を築いた人物です。

板垣退助の功績
・ 自由民権運動の推進:
板垣退助は、明治政府に対して、国民の意見を反映する議会(民撰議院)の設立を求める運動を積極的に行いました。これは、当時、一部の藩出身者によって政治が運営されていた状況に対する反発から生まれました。彼は、同志と共に「民撰議院設立建白書」を政府に提出し、自由民権運動の先駆けとなりました。
2・自由党の結成:
1881年、政府が国会開設を約束したことを受け、板垣退助は自由党を結成し、その総理に就任しました。自由党は、日本の最初の政党の一つであり、板垣退助は、自由民権運動の中心的役割を担いました。
・「板垣死すとも自由は死せず」の言葉:
1882年、板垣退助は岐阜で暴漢に襲撃された際、「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を残しました。この言葉は、自由を求める国民の意思を象徴するものとして、広く知られるようになりました。

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