文藝春秋「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」

文藝春秋「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」

 2016年10月号

文藝春秋「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」1

 ¥450.  
  送料¥198.(クリックポスト)

 1964年東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉は、1968年メキシコシティ五輪の開催の年の1月9日に自殺しました。その動機は何だったのか。
東日本大震災の5年後、被害を受けて後片付けが進められていた故郷福島県須賀川市の長兄の自宅の押し入れの奥から出てきた幸吉の手紙から明らかになりました。

文藝春秋「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」2

文藝春秋「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」3
 震災で発見された50年前の手紙を初公開 
 マラソン円谷 悲劇の謎が解けた 松下茂典 290~304ページ

文藝春秋「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」4

文藝春秋「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」より抜粋

文藝春秋 2016年10月号「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」

 幸吉の四歳上の兄、幸造(80、神奈川県在住)が振り返る。
「その年は、幸吉が右足アキレス腱と椎間板ヘルニアの手術をして間もなかったので、みんな気を遣い、彼の好物を持ち寄りました。父が元旦に餅を搗き、母が餡を入れた餡ころ餅。長男・敏雄は、奥さんの幸子さんがつくった太巻き寿司。次男・勝美は葡萄酒とリンゴ。三男・巌は梅干しといっしょに漬けた紫蘇をごはんに混ぜた紫蘇めしと、ピリ辛の南蛮漬け。四男・喜久造は近所の酒屋特製のぶどう液と養命酒。わたしが用意したのは、烏賊に目がない幸吉のために市場で仕入れた紋甲烏賊でした」
 これらは、一月三日に食べたとろろを加え、すべて「美味しうございました」と、幸吉の遺書に書かれたものである。

円谷幸吉の遺書全文
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

遺書は、「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」から始まり、「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれています。身内一人一人の名前を挙げて感謝しています。「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の言葉は、当時の世間に衝撃を与え、また円谷の関係者ら多くの涙を誘いましたが、身内や関係者でなくても何度読んでも涙をこらえることはできません。

  ⇒ 遺書全文と自殺の背景 

文藝春秋「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」5
 傘を差し掛けてくれた女性と婚約しましたが、所属する自衛隊体育学校の校長の反対で破談になってしまいます。自殺に至る経緯が明らかにされています。

文藝春秋「マラソン円谷 悲劇の謎が解けた」6

その他の内容 芥川賞作家対談(又吉直樹×村田沙耶香)など
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